=第二話 夢の傷痕=

翌日、暗くわかだまった気持ちを抱えたまま、ふぁきあは学校にでた。
金冠学園はみゅうととるうと、そしてあひるがいた頃と変わらずそこにある。
しかし変化はもちろんあった。大きい物小さい物、それは様々だけれど…けど、生徒達は特にその変化による疑問を感じることなく生活しているようだった。

昨日のあの夜から、一緒に暮らしていた鳥のアヒルはその姿を消していた……
(あれは……あの少女は、本当にアヒルだったのか…? それを、おれが……)
不安に、ふぁきあは唇を噛む。
(おれが……消した……)
自分の一言が働いて、少女の姿を消してしまったのではないか……
彼女を苦しめ、助けを求める手さえ、とってやれなかった。
あの夜の、自分が見たものが幻ではなく、本当にあひる自身なのだとしたら、少女が消えてしまったのは……鳥のアヒルが消えてしまったのは…………
ふぁきあは強くかぶりを振ると、自分の思考を否定する。
「そんなばかな……言葉で、人が、生き物が消えるものか。そんな夢物語みたいな事が……」
しかし確かに以前、物語はこの町を支配し、そして自身の血の中に、その力は今も宿っているのだ。いくら否定しようと、嫌悪しようと無くならない穢れ。
嫌な気持ちばかり膨らんでゆく。
罪悪感が心を支配し、塗りつぶしてゆく……


「ねえねえ、聞いたぁ〜? 夜になると、白ーい少女の幽霊がでるって話」
「ああ、知ってる! 街の中を踊るように移動して……ふっと消えちゃうってヤツね」
耳に入ってきた声に聞き覚えがあって、ふぁきあは顔を上げる。
前を歩くその知った姿は、かつてあひるが人間の姿を持っていたときの親友達。
たしか、ぴけとりりえといったか。
2人の少女が楽しげに話す姿に、ふぁきあは言いようのない寂しさを、そして不安を感じた。
確かにあの2人のあいだに彼女の姿があったのに。まるでかつての出来事はすべて夢だったとでも言うかのように……
2人はあひるのことを憶えていないようだった。


夢は、醒めてしまった……
夢の残滓を、ただふぁきあだけが抱えて。

小さな頃に守ると誓った美しい王子。
家族同然に過ごして、学校に行って、ひどく縛り付けてしまった事もあったけれど、彼の幸せをずっと望んでいた。

そして王子の選んだプリンセス。
ずっと、けして仲が良いとはいえなかった。
一時は剣を向けた宿敵で、違うと解ってからもろくに喋ることはなく、友達とも呼べない関係のまま王子と共に旅立ってしまった。
今思えばずっと王子を取り合っていた仲とはいえ幼なじみなのだ。突然消えたことが悲しくないはずがない。

こんなにも、急に、静かになってしまった。
みな、自分を残して……

そしてもう一人のプリンセスも。
ずっとそばにいると誓った。
彼女のその存在が、心が、好きだった……
だから、彼女が、彼女自身に劣等感を抱いているのが嫌だった。自身の存在を否定して苦しむ彼女を見ていられなかった。アヒルだから何だというのだ、そんな物は関係ない。彼女が、彼女だから……こんなにも愛おしいというのに……

けれど自分は彼女を否定してしまった。
人間の姿をした彼女を……
しかし彼女は人間ではないのだ。
彼女を否定した訳ではない……はずだ……

「たしか、赤毛で、おさげをした幽霊だって」
「ええ〜誰に聞いたのよ、それ」
「同じクラスのマリーよ。な〜んか、見覚えあったようなって言ってたけど……」
「それ、ほんとに幽霊?」
「おい」
おもわずふぁきあは、ぴけとりりえに声を掛けていた。
「えええっ!」
「ふぁ、ふぁきあ様っ?」
そんなに驚くとは思ってなかったふぁきあは、2人の反応に少したじろぐ。
「どどど、どうされたんですかっ」
かちこちに固まったまま返事をするぴけに、ふぁきあは苦笑を漏らす。
「いや、その、赤毛の幽霊の話が気になっただけだ。すまない」
「そ、そんな、謝らないで下さいっっ!」
「ところで、その幽霊の話、有名なのか?」
「有名になったのは……つい最近ですけど……」
「ここ一週間くらいの事よねえ」
一週間前……
右手が痛み出したのも、ちょうどそれくらいからだった。

痛い、痛い……
わからなくなる……
痛みが、わたしを、消してしまう……
たすけて、だれか、わたしが……消える?
痛い、痛い、痛い……っ!
消える、わたしが……こわい……
こわい、こわいよ……
ふぁきあ……

「わたし、は……」
アヒルでも、女の子でも、チュチュでも……
わたしはわたしだよ……?
そうだよね?
そうだって言って、ねえ、ふぁきあ……
「……ぁああ……ふぁあきあぁ……」
たすけて……でも……
「ふぁきあ、の、言葉は……力がある……」
今度、もし否定されたら、わたしはきっと……
「ぅ……」
言いようのない激痛に倒れ込む。
気が付けば夜だった。
朝が、昼が過ぎていったことなど、まったくわからなかった。
ただ痛みにうなされて、さまよっていた。
「ぁ……」
気が付けば、足はまた、自然とふぁきあの家に近づいているようだった。
痛みとは違う涙がにじむ。
どうしてふぁきあなんだろう……
真っ先に頼ってしまうのは……
たしかに、今の金冠町にはふぁきあしか、あひるのことを憶えている人はいないのだけれど。
(わたしは…………ふぁきあが好きなんだ……)
すごく当たり前すぎて、単純な答え。
出会って、嫌な奴で、でもそれだけじゃなくて……
少しずつふぁきあのことを知っていった。
いつの間にか一緒にいることが当たり前になってしまった。みゅうとの事があったにしても、きっとそれは……
(わたしが、ふぁきあと一緒にいたかったんだ……)
そのことが……今はただ、哀しかった……
「でも、いまは……ふぁきあは……だめだ……」
その場を早く離れたくて、あひるは痛みに震える体をなんとか立ち上がらせた。
「あひる……?」
その声に震えた。
背後からかけられたその声に。
「や……やめて……」
今は一番聞きたくない声。
大好きな、声のはずなのに……
その声はあひるの中に大きな恐怖を揺り起こした。

ふぁきあは日が暮れると、街の中を探し歩いた。
もちろんあひるを探していた。
月が皓々とその存在を主張し始めると、同時にいつものように右手が疼きだした……
そして、探して、歩いて、また自分の家にたどり着こうとしたそのとき、彼女はそこにいたのだ。
「あひる、なんだな……?」
「やめてぇ!」
その悲痛な叫び声にふぁきあは足を止めた。
「あひる?」
「いや……こないで……」
おそるおそるふぁきあの方に振り返ったあひるは、ただ恐怖におびえた瞳で、ふぁきあを見上げる。
「あひる……」
あひるの恐怖は、ふぁきあに向けられているのだ。その痛々しげなまなざしが棘となってふぁきあを刺す。
「……だめ……ふぁきあは……わたしを、無くしてしまう……ぅあ……」
痛みに震えるあひるに、今すぐ駆け寄りたかった。けれど、それはあひる自身に拒否されてしまった……
それはすべて、昨日の、自身のせい……
あひるに恐怖を感じさせているのは他ならぬ自分、ふぁきあ自身だった。
「ふぁ、きあ……ねえ……わたしは、だれ……?」
痛みのためか、あひるはうわごとのように口走る。
あひるは、ただ、ふぁきあに恐怖を感じる自分自身が悲しかった……
「なにをいって……?」
ふぁきあは嫌いじゃない。けれど、ふぁきあはわたしを無くしてしまう。
それが、怖くて……頼りたいのに頼れないことがあひるを混乱させる。
そして、あひるはアヒルであるはずなのに……この姿がふぁきあの力でないのならば、今ここにいるわたしは一体なんなのだろう…?
誰に求められ、誰を求めて……
今ここにいるというのだろう…………
「わからない……痛い……たすけて、たすけて……ふぁきあ……痛いよぅ……」
苦痛に歪んだあひるの眦から、涙が止めどなくこぼれ落ちて、そんなもの見ていられない。
「あひるっ……」
「来ないで……!」
駆け寄ろうとした足はまたも止められて、ふぁきあはもどかしさに顔を歪めた。
「わたしは……どこにいるの……?」
あひるはふらふらと、熱に浮かされたように、歩き始めた。
「どうして、ここに、いるの……? ここは……どこ……?」
おぼつかない足取りで角を曲がり、あひるの姿がふぁきあの視界から消えた。
「あひるっ!」
あひるの姿を確かめようと、あひるの曲がった角に駆け寄った。
しかしそこにはすでに、その白い少女の姿は無く、ただ濃い闇と静寂が鎮座していた。
「くそっ……!」
自分が情けなかった……!
どうして、拒否されようとも駆け寄って、その小さな体を抱きしめなかったのだろう。
あひるは確かにふぁきあに助けを求めていたのに。
その体に抱えた痛みを、少しでも和らげることが出来たかもしれないのに。
ふぁきあ自身があひるに与えてしまった恐怖を拭うべきは、やはりふぁきあ自身だ。
「……ちくしょう」
いつも、自分は、間に合わない。
取り返しがつかない。
その事が悔しくて……堪らない……


「あ〜あ……なんで、こんな時間になるかなぁ、もう……」
ぴけが学校に残っていたのは、ぴけ自身にもよく理由がわからなかった。
ただ、昼間りりえに聞いた幽霊の話が心に引っかかっていたのは確かだ。
幽霊が、ではなく、その幽霊だという少女の、容姿が……
「赤毛で……おさげ……」
なぜか気になる。
赤毛でおさげなんて珍しくもないし、同級生にもそんな容姿の子はそれなりにいる。
けれど、その誰でもない誰かを捜していた。
「どうかしてるよ、ほんと」
そんな曖昧な理由で日が暮れるまで学校に残っていた自分に呆れながら、ぴけは寮に帰る道を急いだ。
冬の寒さが近づいているからか、夜を支配する闇はその昏さを神秘的なものにも感じさせた。
今なら、妖精が出てきたって驚かない。それこそ幽霊だって。
澄んだ空気は星の頼りない瞬きも、筋を引くように地上に届けてくれていた。こんなにも澄んだ空気の中では悪魔だって神聖なものに見えるだろう。
「そんなこと考えて、ほんとに出てきたらヤダなぁ……」
自分の突飛な発想に少し震えながら、ぴけは夜道を急ぐ。
あの角を曲がれば寮はもうすぐそこだ。
気持ちが逸って、ぴけは勢い良くその角を曲がった。
「きゃっ!」
いきなり白い人影が現れて、ぴけはあわてて避ける。
しかしその白い人は避けきれなかったためかふらついて、その場に倒れ込んでしまった。
「あ、あ、あ、ご、ごめんなさいっ!」
あわてて謝り、人影に近づく。
「え……」
ふと、その容姿に目がいった。
「赤毛の、おさげの……」
少女。
(ゆ……幽霊!?)
「う……」
その少女が苦しそうな声を上げて、ぴけは我にかえる。
幽霊なんて、考えてる場合じゃない!
自分が怪我をさせてしまったのかもしれないのだ。
「大丈夫ですか! どこが痛みます?」
少女を抱え起こす。
思ったより軽くて、ぴけはすこしびっくりする。
しかしけして幽霊などではない。少女の体温がその事を物語っていた。
「うあ……」
うっすらと少女が目を開き、その水色の瞳はなぜだか、驚くように見開かれた。
「どうしたの? 熱があるみたいだけど……大丈夫ですか?」
心配でのぞき込むと、少女は苦しげな浅い息を繰り返しながらもぴけをまじまじと見つめてくる。
「え……わたしが、なにか……?」
少女は驚いた表情のままでぴけを見つめて、そして、かすれた声でつぶやいた。
「ぴけ……」
ぴけの心臓が、一つ大きく鳴った。
「え……わたしの名前……」
ぴけは戸惑いながらも、確かにその少女の声に懐かしい何かを感じていた。
わたしはこの子を知っている……
「ぴけ、ぴけ……ぴけぇ……」
少女は堰を切ったように泣き出してしまい、そのままぴけに縋り付いてきた。
「ちょ、ちょっとっ! しっかりしてよ、ねえ……あひる……っ」

あひる……?

「あひる……」
そうだ、この少女の名前……
どうして、今まで忘れていたのか。
親友だったはずだ。りりえと一緒にいつも3人で、登校して、おしゃべりして、あひるはいつもドジだから……猫先生に怒られてばかりで……
「猫……先生……?」
それは、誰だっただろうか……
ふと、少女を見ると、彼女は泣きやんでいた。
「ど、どうしたの? あひる?」
無表情になっていたあひるの顔がまた泣き顔に歪んで、そしてそのまま彼女の意識は切れた。
「あひる! ちょっと、しっかりしなさいよっ」
気を失ってしまったあひるに慌てながらも、ぴけは自分がものすごく、それこそ泣いてしまいそうなくらい、安堵を感じていることを意識した。


やっと、自分は、大切な友達を取り戻せたのだ。



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