夕焼けがあたりを照らし、金冠町がその名に似た色で染め上がっている。
空の朱さと太陽の金、町の赤が一種グラデーションのように折り重なる。
高いところから見渡せば、さぞかし美しい光景が広がっているだろう。
その街の中を、しかしそんな風景に目を貸す余裕すらないと言った表情で、あひるが大きくため息をついた。
「うう、つっかれた〜」
「それは俺のセリフだ」
心の底からの嘆きに、隣をいくふぁきあがどこか険のある口調で返した。
「お前が練習したいっていうから付き合ったんだぞ。
それを、先にギブアップするってどういうことだよ」
「だって、ふぁきあと発表会で踊れるんだもん。頑張んなきゃって思ったから。
けど、ふぁきあスパルタ過ぎるんだもん〜」
膨れっ面になったあひるが、上目遣いで抗議してくる。
だが、ふぁきあにとってはどこ吹く風なのだろう。しらっとした無表情で軽く流している。
ここのところの頑張りが認められたのか、次の発表会であひるはふぁきあとのペアに大抜擢をされた。
もちろん、これは双方ともに喜ばしいことで、猫先生から告げられたあひるは一目散にふぁきあのところに飛んでいき、喜びを分かち合っている。
だが、ひときしり喜んだところで、
「これからは放課後に特訓だな。ただでさえ、お前はバランス取りが危ういところがあるから」
「え? ……ふぁきあが特訓するの?」
「お前の相手は俺だぞ。他に誰がいる?」
「………ううう」
ふぁきあの追求に逆らう術など無く。
ここ最近は放課後に自主的に居残って特訓の毎日となっていた。
(別にふぁきあとのバレエが嫌とか言ってるんじゃないんだけどね。
でも、もう一寸でいいから優しくアドバイスするとか、ほんの少し姿勢を直す時の力を和らげるとかしてくんないかなぁ。
そんなの、ふぁきあに求めても無駄って分かってもいるんだけどさ。でもさ)
心の中の愚痴が目にも出てきていたのだろう、それまでそっぽを向いていたふぁきあが、呆れ顔でこちらをむいた。
「これでも甘いくらいだぞ。本当なら、今日はリフトをもっと完璧にしてから帰るつもりだったんだからな」
「あれが優しい?! ……あ、いえ、すみません」
思わず声を上げてしまい、軽く睨むような視線が返ってきたので、慌て身を引いて謝る。
それでも心情ははっきりと伝わってしまったらしく、ふぁきあが大げさなまでにため息をしてみせた。
「厳しいことに、越したことはないんだ。特にリフトはお前が俺より上に行く分、バランスを崩した時に危なくなる。
下手すると頭から落ちることに……………あひる?」
隣に居るはずの人物が、いつのまにか後方で立ち止まっていることに気が付いた。
振り返ってみると、なにやらあひるは鼻をひくひくと動かしている。何かのにおいをかごうとするかのようだ。
「何やってるんだ?」
いぶかしんで尋ねると、声に反応してか、あひるがハッとこちらを向いた。
距離を急いで縮めるように走りこんでくると、なにやら焦ったような顔で口を開く。
「ふぁきあ! 大変!」
「? なにが?」
「雨! 雨が降ってきちゃう!」
「……あめ?」
言われて空を見上げるが、夕焼け色の雲が悠々と漂っている。
「これだけ晴れてるのにか?」
「絶対に降るの! 急いで帰らなきゃ!」
あひるは雨が降ることを確信しているようで、ふぁきあの腕をぐいぐい引っ張っていく。
「だから晴れてるっていう………っ?!」
言葉が途切れた。
頬に冷たい雫が伝っていく。
もう一度見上げると、先ほどとは打って変わって黒い雲が自分の真上を横切っていた。
「本当に降ってきた……のか?」
「ふぁきあ! 早く早く!」
「あ、ああ」
驚きのあまり上の空になりかけたが、あひるの声に促され、雨粒の合間を縫うように二人は走り出した。
雨粒はすぐに大きなものとなり、二人は店の軒先に逃げ込んだ。
「わ〜、びしょぬれになっちゃったね」
パタパタと制服の濡れを払い落としながら、あひるが軽い口調で言った。
ふぁきあも、濡れて重さを増した前髪をかき上げながら頷く。
「けど、まだ家まで大分あるな。雨宿りしているうちに晴れてくれればいいんだが」
ちらりと軒先から空を見上げるふぁきあ。あひるも同じ仕草をしながらも、「う〜ん」と眉をひそめてみせる。
「ちょっと無理かもしれない。雨の気配、どんどん強くなってるし」
「分かるのか?」
「うん。なんとなく」
軽く頷かれて、ふぁきあは相槌を打ちながらも、また空を見上げた。そうしてからハタリと思いつく。
「……そうか、お前は鳥だったからな。羽が濡れることは死活問題というわけか」
鳥は空気の抵抗を身に着けて空を飛ぶ。
雨の中も飛べないわけではないが、湿り気は得意というわけにはいかないだろう。
ふぁきあの推測に、あひるはまた軽く頷いた。
「あんまり遠くまでは飛べないけどね。でも雨のにおいっていうか気配はすぐに分かるよ。
それに、飛んでいた鳩のおばさんとかは「急がなきゃ」って言ってたから」
「なるほどな」
動物は人間よりも自然との交流面が大きい。小さな変化にも素早く察知する。
人間になれたあひるとはいえど、普通の人よりもそう言う面ではやはり鋭さが残っているのだろう。
だが、納得できたところで、この雨自体はどうしようもないところで。
「雨がやまないとなると、走りきるしかないか」
「でもちょっと距離があるよ? 風邪引いちゃうし」
「このままで居るほうがよっぽど風邪をひくだろう」
「う〜ん、でも……」
あひるがまだ反論をしかけた。
そのとき。
空に走る、一筋の光。
それと同時にアヒルの肩が目に見えて震えた。
「? どうした?」
「あ、あのののののの、ふぁききききああああああ」
問いかけると、なぜか口調にスクラッチをかけるあひる。目線もどこか宙をさまよっているようにも見える。
「なんだよ」
「いいいいいいいいいいいいまままままま…………ぴ、ぴかぴかぴかって」
「ぴかって、ああ。雷か」
ふぁきあが相槌を打つ。その声に答えるように。
空から大地へと轟音が鳴り響いた。
「…………………………っっっっっ?!!!!!!!」
声に出せないほどの悲鳴を上げ、拍手物の素早さでふぁきあに飛びついた。
「お、おいあひる! なんだよいきなりくっつくな!」
思いもかけないあひるの行動に、思わずふぁきあも声を荒上げる。
だが、当のあひるは気に止める余裕すらなく、それ以上に抱きつく腕に力を込めてくる。
「ふぁふぁふぁふぁふぁきああああああ!!!!」
「だから何だ?!」
「かかかかかかかか」
「かかか?」
スクラッチのかかる言葉に首をかしげると、涙目のあひるが顔を上げた。
「かみなりぃぃぃぃ〜!」
「……………。ああ、鳴ってるな」

淡々とした答えに、思わず抗議したあひる自身が固まる。
しばらくしてから、立ち直ったのか、怖さを振り切るためなのか、ふぁきあに食って掛かってきた。
「鳴ってるな、じゃなくて! ふぁきあは怖くないの?!」
「いや、別に」
「うそぉぉぉ?!」
「嘘ついてどうする」
「だって、だってかみなりだよ?!」
「ああ」
「光ってるんだよ!」
「そうだな」
「どが〜んって、すごい音が鳴ってるんだよ!」
「鳴ってるな」
そこへ、自己主張するかのごとく、また雷鳴が鳴り響いた。
「いや〜〜〜っ!」
首に回された腕の力が尚更こもる。
普段なら心臓が高鳴って落ち着かなくなるような状況だが、抱きついている当の本人が別の理由でパニックになっているせいか、ふぁきあは妙に冷静になっていた。
その冷静な頭が、ふとこの状況の理由を導き出す。
(………ああ、そうか。動物の本能か)
人間にもある、本能的な雷への恐れ。
先ほど、雨の気配を敏感に察知したように、この雷の恐れに対しても敏感に反応するのだろう。
別にそれが悪いとは言わない。
だが。
さすがに街中で抱きつかれると、恥ずかしいものがあったりする。
肩に置いておいた手を、水気を含んだあひるの髪へと伸ばす。軽く二・三度ポンポンと叩いてみた。
なでる手に気が付いたのだろう、あひるが顔を上げてくる。
「ふぁきあ………」
「大丈夫だから、落ち着け」
「で、でもでも」
背後でまた閃光が瞬く。あひるの肩がまた大きく震えた。
もう一度、励ます意味も込めて頭を叩くと、人差し指ですっと空中をさした。
「あひる、学校のてっぺんが見えるか?」
「へ? て、てっぺん?」
「ああ、振り向いて見てみろ」
「………空見るの?」
「いいから見ろ!」
渋るあひるに少々強く言うと、本当に恐る恐る、といった感じで振り向いた。
ふぁきあが指差しているのは、学校の屋根の上。
物凄い雨のせいでけぶったようになっているが、微かに屋根の飾りのようなものが見えた。
「アレが避雷針になっている。雷はより高いところに落ち易いからな。直撃するとしたら、あそこか例の塔のてっぺんだろう」
例の塔というのは、自動手記装置のあった塔のことだ。
確かに、あの塔は金冠町の全てを見下ろせるような高さだから、雷は落ちやすいだろう。
「……うん。そうかもしれないけど……」
納得が出来ないわけでは無いけれど、恐怖が消えるわけでもない。あひるはあいまいに頷いた。
それを見越していたのだろう、ふぁきあは「それに」と話を続ける。
「今いるのはどこだ?」
「へ? 商店街のお店の下」
「そうだ。まあ、本当なら店の中に行きたいところだけど、多少なりとも屋根のがある下に居るんだ。
何も無いところにいるよりも安全だろう」
「……うん」
「それに……」
ふつり、とそこでふぁきあの言葉が途切れた。
今まで言い聞かせるように真っ直ぐに見つめてきた瞳が、なぜかあさってを向く。
その理由が分からず、あひるは首をかしげた。
「? それに?」
「あ、ああ、それにな……」
口を濁していたふぁきあだったが、しばらくしてからもう一度あひるの瞳を見つめた。
ガッシャ〜〜〜〜ン!!
「―――――――――――……」
激しい閃光と共に、雷鳴がこだまする。
だが、今度のあひるは叫ぶこともなく、自分が抱きついている相手を穴が開くのでは? と思えるほどに凝視していた。
見られている相手は、この上も無く居心地が悪そうに視線をそらす。
「……ふぁきあ」
「…………………なんだ?」
「もう一回、言ってくれる?」
「なぁ?!」
音を立てる勢いでふぁきあの顔が赤く染まり、すばやくあひるに目を戻す。
自分を見上げるあひるは、この上もなく嬉しそうな笑顔で、お願いを重ねてきた。
「ね、雷でよく聞こえなかったから。もう一回♪」
「……しっかりと聞こえてたように見えるぞ」
「そんなこと無いよ♪ だから、もう一回♪」
「だったら、その笑顔はなんなんだ!」
「う〜ん、なんだかとっても嬉しいことがありそうだから、かな?」
「………聞こえたんだろ」
「ううん♪ だから、もう一回!」
ニコニコニコ、と満面の笑みで「お願い」をしてくるあひるに、ふぁきあは再びそっぽを向いた。
「言わない」
「ええ?! 聞こえなかったんだもん、もう一回だけ!」
「聞こえなかったんだったら、それでいいんだ」
「よくない! ほら、雷が鳴る前に、ね?」
「絶対に、言わない」
「言ってよ〜」
「言わない!」
なんとかしてふぁきあから言わせようと説得するあひるに、断固として視線を合わせようとしないふぁきあ。
すでに何度か雷が鳴っていることに、二人は気が付いているのか、いないのか。
「言って!」「言わない!」という掛け合いは、雷雨にも負けない勢いで交わされ続けた。
それから幾らかして。
ようやくこの争いが不毛だと気が付いたふぁきあの目が、ふと外へ向けられた。
「どうしたの?」
「いや、大分雷が遠のいたようだからな」
気が付いて、あひるも外を見やる。
雨の勢いは変わらないものの、先ほどまで間を置かずに鳴り響いていたいた雷鳴が、ほとんど聞こえない。
時たま閃光が走るが、音がしないところを見ると、遠くまで流れていったようだ。
「これなら、走って帰れるかな?」
「そうだな。雨も止みそうに無いし……。お前は大丈夫なのか?」
「何が?」
きょとんと不思議そうな顔で聞き返してくるあひるに、軽くため息のようなものがもれた。
「だから、幾ら鳴ってないって無いって言っても、まだ光ってるんだぞ? 雷」
そんな中を走れるのか? とふぁきあは聞いているのである。
言われてあ、そっか、と納得したあひるは、しかし能天気な笑顔で返事を返す。
「うん、大丈夫みたい。もう随分遠いし」
「そうか」
「うん!」
元気に相槌を打つしぐさに、思わず「あの恐怖の叫びはなんだったんだ」と問い詰めたくなる。
でも、
(まあ、大丈夫だっていうなら、いいか)
心の中でつぶやいて、自分を納得させるふぁきあであった。
「それじゃあ、帰るぞ。バッグを頭の上にやれば少しは……」
「ね、ふぁきあ」
促す言葉に、呼びかけが重なる。
「なんだ?」
「あのさ、手、つないで帰らない?」
「…………」
突拍子も無い発言に思わず言葉を失う。
「あ、えっと、なんとなく、なんだけど! いやなら別にいいんだ!」
固まってしまったふぁきあに「失敗した」と思ったのだろう。バタバタと手を振って、あひるが言い募る。
「雷は……まあ、こわいけど……でもさっきほどじゃないし! それに」
「…………いいぞ」
「え?」
ポツリと返された言葉に、こんどはあひるの動きが止まる。
「別に手ぐらい、構わないっていってるんだ」
「ほ、ほんと?」
「こんなんで嘘ついてどうする。なんなら、本当にやめるか?」
「わわわ! 待って待って! つなぐつなぐ!」
一人でさっさか行きそうなふぁきあを慌てて止めて、あひるは素早く手を絡めた。
雨の中とは思えないほどの温かさがふんわりと広がる。
目が合った瞬間、あひるは嬉しそうに笑い、ふぁきあは口元を和ませた。
「満足か?」
「う〜ん、さっきのふぁきあのセリフが聞けたらも〜っと満足」
「お前、しつこいぞ」
「駄目?」
「…………家に帰ったらな」
「うん!」
観念したようなふぁきあに、あひるは笑みを深めた。
ふぁきあの口元にも、先ほどとは少し違う苦笑に近いものが浮かぶ。
最後にもう一度、絡めあった手に力を込めあうと。
二人は雨の中へと駆け出していった。
−FIN
2004.8.21 葉月紗緒(sao)
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